両忘庵のお知らせ

姿勢を調え、呼吸を調え、心を調える。息を数えることに専念して「両忘」に至る。 初心者でも参加できる坐禅会です。

今日は無門関の提唱がありました

今日は朝、起きると雨が強く降って
いました。
いつものように朝5時前に両棒禅庵
の駐車場で車を降り、禅堂へ向かいま
すが、雨のせいかあたりは真っ暗。
懐中電灯で足元を照らし禅堂に向かい
ます。

途中で、禅堂に祀られている文殊菩薩
に奉げる榊の枝を切って禅堂へ上がり
ます。
今日の坐禅会の参加者は3人。広い禅
堂の掃除は3人ではきつい。5時半か
らの坐禅に間に合うよう手わけして
ハイピッチで掃除します。
坐禅は雨の音を聞きながら静かに坐禅
をすることが出来ました。

坐禅後。今日は雨天の為、屋外の庭掃
き(作務)ではなく大木和尚の提唱
(説法)がありました。
今日は、無門関「百丈野狐」の提唱。

両忘庵では漢文のテキストを使います。
日常生活でレ点のある漢文に馴染みが
ないし、ちょっとテキストを見るだけ
で難しく感じてしまいますね。
今日の話しは、「百丈山の狐」。

「中国の百丈和尚という方が法話をし
ていときに、大勢の聴講者に混ざって
いつも一人の老人が話を聞いていた。
あるときこの老人が聴衆が帰った後に
その場を離れないので、あなたは誰で
すかと和尚が聞く。

この老人。私は人間ではないのですと。
身の上話を始める。この人。お釈迦さ
んがこの世に出られる前大昔に百丈山
に住んでいた大和尚だった。

ある修行者から「貴方ほど修行を積ま
れた方でも、因果の苦しみに落ちます
か」と尋ねられ「因果に落ちず」
(私にはもう因果に落ちることはない)

その途端狐になってしまい。以来五百
回も生き死にを重ねてこの裏山に住む
羽目になってしまった。
が、何とかこの狐の身から脱したいと
告げる。

そして過去に自分が聞かれたように、
「貴方ほど修行を積まれた方でも、
因果の苦しみに落ちますか」と尋ねる。
百丈和尚は「因果を晦まさず」
(因果は免れられない)という一言で、
悟り狐の身から救い出された」という
内容。

この内容。何が言いたいのか良くわから
なかったので、後から解説書
「無門関プロムナード」西村恵心さんで
確認してみました。

こう書かれていました。
「お釈迦さんは、人生そのものが生老
病死を本質とする苦しみの器であると
説いている。

そしてそういう現実から一日も早く脱
したいと願うのも人情だが、そうする
と余計に現実が私たちに立ちはだかっ
てきて、我々の世界は狐の集団になる
ばかりだ。

そのうえ我々は他人を騙すばかりか
自分さえ誤魔化して生きようとする
惨めな狐でさえある。

老いゆくこと、病の床に臥すこと、
ひとり死出の旅路につくこと、そう
いう逃れられない人間の運命を「晦
まさず」に生きることを覚悟するとき
、私たちも野狐の身を脱することが出
来るのではないか。」

う~む。分かった気もするし。
分からない気も。
まだまだ、禅が分かっていないん
ですね。

提唱が終わって本堂から出ようと
すると、外の庭が綺麗だな~。
と感じ。思わず、スマホで一枚、
二枚撮りました。

イメージ 1












イメージ 2













が、写真にはそのときの自分の感じた
光景は撮れないものですね。
こちらも修行が必要ですね。

来週から10月。
10月~3月は坐禅会は冬時間になり
ます。30分開始時間が遅くなります。

5時半集合・掃除。6時~7時坐禅
7時~7時半。作務。法話
7時半~8時 茶礼。
写経の日は7時半~9時

こんな感じになります。