今日は朝から雨でした。
外は雨。禅堂で坐る我々の耳に
雨が降る音が聞こえます。
何故か雨の軒を打つ音に心が静
まります。
雨の日は全ての物音がこの雨音
に吸収されてしまうのでしょう
か。とても静かです。
静寂の世界。
ときどき、鳥の鳴き声が聞こえ
てきますが、この静寂の中で、
鳥の鳴き声がとてもクリアに心
地よく耳に聞こえてきます。
呼吸を整え、この静寂の中で坐っ
ていると、先週もいろいろあって
興奮している心がだんだんと落ち
着いてきます。
坐禅をすれば何でもハッピーにな
るとは思いません。坐禅に即効性
を求めてこられる人もいますが、
只管続けて行くことがなければ、
只の体験で終わってしまいます。
ただ、足が痛かったという感想
しか残らないかも知れません。
只管、呼吸に集中する。一から
十まで数えてまた一にもどって
十まで呼吸の数を数える。
また繰り返す・・・。
これを繰り返し、繰り返し続け
ているうちに、心が段々と落ち
着いてきます。
修行僧でない仕事を持ちながら
坐禅会に通う在家の我々は、嫌
がおうでも日常の様々な出来事
(良いことばかりであれば良い
のですが、そうとも限らない。)
に直面します。
ストレス社会と言われる時代。
ストレス解消の方法はいろいろ
あると思います。
その人がそれで解決出来るので
あればれば、何でも良いと思い
ます。
が、一時的な解消方法だと問題
の解決にならないかも知れません。
時間はかかるかも知れないけど、
自分を見つめ自分を変えて行く。
自分に気づくというか。
これも必要かも知れません。
自分を取り巻く状況が変えられ
ない場合は、そのことにこだわ
っていても埒があかない。
自分を変える。自分の考え方を
変えて行くしかないと最近、思
えるようになりました。
(両忘禅庵で学ばせてもらった。)
ハウツーものの本にはいくらでも
書いている当たり前のことかも知
れませんが、自分で実感して実行
して行く。
これが必要かと思います。
禅堂で一時間坐ると、頭の中を占
めていた「もやもや感」も、
もう。 そんなこと。
どうでもいいや!
と考えるようになっています。
今は苦しい流れに身を任すしか
ないなら、身を任すしかないし。
こうして、苦しみながらも自分
自身が少しずつ変わってくる。
(時間はかかるかもしれない
けど。)これが、禅の修行とい
うものかな?
と最近考えるようになりました。
坐禅が終わって外に出ると。
雨がやんでいました。
何か一週間の心の垢が洗い流さ
れたような気分になりました。
そして、来週も溜まった心の垢
を洗い流しに両忘禅庵に来て、
坐る。
この繰り返しでしょうか。
禅堂から出た参道で、雨にぬ
れた石仏が合掌していました。
今日も坐禅をさせて頂いて
ありがとうございます。
石仏に手をあわせ心の中でお礼
をいいました。
石仏の優しい表情に、自分の心
もとても優しい気持ちになって
いる。 と気づきました。
まだまだ辛い状況は続きそうだ。
でも、両忘禅庵に毎週坐りに来て、
心の泥を払い落しリセットして、
翌週を乗り切る。
このパターンでやって行こうと
思いました。